事件時、犯人が山口に自分たちと“つながってる”メンバーの名前を8人ほど挙げたことで、ぬれぎぬと主張するメンバーと、山口との仲が悪化するのは避けられなくなった。
それでも事件から早い段階で、お互いの疑念や主張を直接ぶつけ合う場があれば事態は変わったという指摘もある。実は山口と太野は事件後の12月、直接意見をぶつけ合う機会があったという。
「前(劇場)支配人の今村悦朗氏が立ち会ったが、お互いの主張は平行線に終わった。処分を下せる証拠も出なかった。
今村氏は騒動を沈静化させようと動いたが、不信感を募らせる山口とコンタクトを取ることもできなくなっていった」(前同)
山口がメンバー数人の処分を強く訴えたことで、無実を主張するメンバーとの対立は深刻化。グループ内の居場所はなくなり、1月に山口が事件を“告発”するに至った。
その後、山口はSNS等で個人名や証拠を示さずツイッターなどのフォローを外すなど、あいまいな批判も展開したことで無関係なメンバーにまでバッシングが飛び火。
そうした山口のSNSを駆使したやり方に疑問を抱くメンバーも増え、ますます孤立し、5月に卒業するに至ってしまった。
「山口はNGT加入前、ある地下アイドルグループで『桜真帆』という芸名で活動していたが、当時もSNSで運営や他のメンバーから嫌がらせを受けていると発信していた。
そんな姿勢が孤立を招きグループを去った。今回の騒動と似ている面があり、当時を知る関係者から『またか…』と批判的な声があるのは、そうした背景もある」(当時を知る関係者)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190902-00000041-tospoweb-ent
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Source: 48年戦争 – NGT48
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