より具体的に言えば、日本語曲はサビになったら全員で合唱し、ラップは(活動後期まで)ほぼなく、歌詞は日本デビュー曲の「好きと言わせたい」のように思春期的な恋愛模様ばかり。そのコンセプトは従来のAKB48グループと大差なく、メンバーたちの個性もまったく活かすことができていない。「IZ*ONEの無駄使い」と酷評するファンも少なくなかった。実際、全体の活動の30~40%を日本語曲に費やしたことを考えれば、限定的な時間を有意義に使えたとは言い難い。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1929c1424087312292ac558df05ee7b5d1e4e882?page=4
奇妙な現象はここで見られた。その2つは、歌詞のみが異なる同じ曲であるにもかかわらず、音楽の“立体感”が異なっていたからだ。なかでもアップテンポの「ご機嫌サヨナラ」ではその違いが明白だった。
・日本語版「ご機嫌サヨナラ」
・韓国語版「GOKIGEN SAYONARA – Korean Version」
簡潔に言えば、韓国語版はヴォーカルと伴奏(トラック)が調和し、曲全体のメリハリが感じられるのに対し、日本語版はヴォーカルだけ浮き上がり、曲全体も平板な印象だ。
この違いが前述した“立体感”であり、「奇妙な現象」の正体だ。しかし、なぜこうしたことが起こっているのか?
この2曲で明確に異なるのは、低音部だ。韓国語版は低音が強いのに対し、日本語版は控えめだ。ヴォーカルも韓国語版は伴奏に溶け込んでいるが、日本語版は一語一語がくっきり聴こえる。これは、日本語版ヴォーカルのリヴァーブ(反響)が弱いためでもある(「猫になりたい」も概ね同様だ)。おそらくミキシングにおける違いだと考えられる。
つまり、楽曲そのものではなくレコーディング後のポストプロダクションにおいて日韓で違いがある。では、なぜこうした差異が生じたのか?
いくつかの仮説が考えられる。
ひとつが、「好み」説だ。低音を中心にビートを軸とする韓国語版に対し、日本語版はヴォーカル(歌)を軸に調整されている可能性がある。カラオケ文化が韓国以上に浸透している日本では、たしかにJ-POPで歌や詞が重視される傾向はある。音楽ジャンルでも、欧米と同じくダンスミュージックやヒップホップが中心の韓国に対し、日本ではいまだにロックバンドのサウンドが好まれる傾向が強い。
もうひとつが、「能力」説だ。端的に言って、IZ*ONEの日本語曲の制作スタッフに能力的な問題がある可能性だ。ベテランのエンジニアに訊いたところ、IZ*ONEの日本語曲は「音圧を稼ぎすぎるあまり、ダイナミックレンジを狭くして立体感を失っている」と分析した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1929c1424087312292ac558df05ee7b5d1e4e882?page=6
ただ、IZ*ONE前半期の日本語曲は、まだ制作に力を入れていた気配があった。しかし、ファンの期待を裏切ったのはそれ以降の日本語曲だ。なかでも2019年9月に発表された3rdシングル「Vampire」は、多くの不評を買った。楽曲そのものの質もあるが、前述したようなミキシングの問題がそこには見られた。
この曲は、くぐもったアナログ音のようなイントロから、ヴォーカルの入るAメロから通常の音圧にする趣向だ。こうした演出自体は珍しくないが、Aメロの音の抜けがきわめて悪いために、イントロ部分が上手く機能していない。実際、筆者がYouTubeではじめてこの曲に接したとき、PCにつないでいたスピーカーの問題だと勘違いし、接続や故障の確認をしたほどだった。ミキシングで完全に失敗している。
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Source: 地下帝国-AKB48まとめ